「大人と子供の絵本・火の山 みょうこう」(2020初版) 英訳 by Yoshy
Mr. Kenji Hayatsu’s “Picture book・ The Volcano Mt. Myoko”
No.001 May 22, 2024 「美しい妙高山」 “Beautiful Mt. Myoko”
早津賢二先生とは、LLシホヤ新井教室開設の1975年当時以来半世紀近くのお付き合いです. 専門分野は異なってもお互い、活火山のように日々を過ごして今日の日を迎えています. 後年お付き合いが始まる小島正巳先生は、主著:「妙高火山の文化史」の名のように、上越・妙高地域の文化財資料収集と独自の文化史観披瀝を通して、早津先生同様多数の著作を発表されておられます. 最近連載を開始させて頂いた旧友yasu-sanの「上越妙高の風」を英訳するにつけ、私の生涯学習は、「妙高大好き男」が絡まりながら成長させて頂いてここまで来られたのだと、感謝で一杯です. 早津先生を主軸に据えて、英語の達人で妙高山麓に居を構えて日欧古典英訳に勤しんでおられる恩師、荒井豊先生、そして、半世紀に渡って「雪ふみ心」で市民を啓発し続けておられる、私の人生の師、東條邦昭様、更に私の落書き絵もコラボして、「五人男の錦絵」の如くご披露出来たら恐悦至極です. この連載英訳は、月1, 2回のペースで更新させて頂きます.
I’ve seen Mr. Kenji Hayatsu for nearly half a century since 1975, when LL Shihoya Arai School was established. Even though our fields of expertise are different, both of us have spent each day like an active volcano. The late Mr. Masami Kojima also wrote many books like Mr. Hayatsu, through his collection of cultural property materials in the Joetsu and Myoko areas and his own unique cultural history observation, as shown in the name of his main book, “Cultural History of Myoko Volcano”. As I translate into English my old friend yasu-san's “The Wind from Joetsu Myoko”, which I recently started serializing here. I.e. my life-long learning experience has grown thanks to “The Men loving Myoko”. I am filled with gratitude that I could come this moment. Mainly focusing Mr. Hayatsu; one of my respected teachers, Mr. Yutaka Arai who is an expert in English language and lives at the foot of Mt. Myoko working on translating Japanese and European classics into English, and... I collaborate with the mentor in my life, Mr. Kuniaki Tojo, who has continued to enlighten the public with his philosophy: “Yukifumi Kokoro, the kind spirit in our snowy homeland” for half a century, and more with my doodle pictures; i.e. to make them look like “Five Men's Nishiki-e, multi-colored beautiful pictures”. I’d be extremely happy if you could enjoy this column! This will be updated once or twice a month.
♦2024年8月4日(日)、早津賢二先生の「活火山 焼山」発刊記念トークショー @ フォッサマグナミュージアム in 糸魚川へ参加してきました. 荒井豊先生とyasuさんの3名で. 挿絵を描かれた日本画家、川崎日香浬先生から、本にサインをいただきました.
On Sunday, August 4th, I attended a talk show by Mr. Kenji Hayatsu with Ms. Hikari Kawasaki to celebrate the publication of "Active Volcano Yakeyama" at the Fossa Magna Museum in Itoigawa. The three of us, including Mr. Yutaka Arai and Yasuwent there by Yasu-san’s car. I got a signed copy of the book from the Japanese artist, Hikari Kawasaki, who did the illustrations. When I got home around 2:00 pm, there was a brief downpour, but it stopped soon after.
第1章:「美しい妙高山」 Chap. 1: “Beautiful Mt. Myoko”
長く美しい裾野を広げてそびえる妙高は、まわりに生活する人はもちろん、全国に山を愛する人たちによって、慕われています。
とくに、妙高の山麓に生活する人たちは、毎日のように、その美しい姿をあおいで生きています。学校や会社への行き返りに、また農作業のあいまに、いく度、その日が妙高に向けられることでしょう。
私たちが生まれたとき、妙高はすでにそこにありました。私たちがいなくなっても、妙高はそこにあるでしょう。
妙高は、はるか昔からそこにあったのでしょうか。そして、はるかな未来にまでそこにあるのでしょうか。
Mt. Myoko towering over its long and beautiful skirts, is admired not only by the people who live around it, but also by mountain lovers in all over our country.
In particular, the people who live at the foot live their lives with its beautiful appearance every day. When we're going to and from school, places of work, or doing farm work; we’re probably find ourselves heading to Myoko so many times.
Myoko had already been there when we were born. Even if we were gone, Myoko would stand there.
Has Myoko been there on earth since the distant past? And will it still be there far into the future?
妙高山の名前の由来:
妙高山の名目の由来については、かつては、大日本地名辞書を著した吉田東吾伍(よしだとうご)氏の説が広く信じられていた。つまり、妙高山は昔は越の中山(こしのなかやま)とよばれていたが、その中山が名香山(なかやま)となり、音読して名香山(みょうこうさん)、さらに仏典にあるシュメール(須弥山:しゅみせん)に結びつけて、妙高山とよぶことになったという説である。古代インドでは、仏教の世界の中心にシュメール(須弥山)という高い山がそびえ立っており、太陽や月は、その中腹を回転しているという考えがあった。妙高は、そのシュメールの漢訳であるという。
The Origin of the name Mt. Myoko:
Regarding the origin of the name Mt. Myoko, according to the theory by Togo Yoshida who wrote the Great Japanese Place Name Dictionary, the name was a region-name, once widely called Koshi-no-Nakayama; then, Nakayama became Mt. Nakayama, which is pronounced Myoko-san. In ancient India, there was an idea that a high mountain called Sumer (Mount Sumeru) towered at the center of the Buddhist world, and that the sun and moon revolved around the mountain. I.e., Myoko is said to be a Chinese translation of Sumer.
その後、歴史研究家の中村幸一(なかむらこういち)氏らは、中山は、新井から関山までを表す地域名であって山名ではないことを文献によって示し、中山→名香山→妙高山と言う説を否定した。そして、妙高山は、釈迦が人々に法華経(ほけきょう)を説いたというインドの霊鷲山(りょうじゅせん)や、チベットで仏の山とされているカイラスに、その姿がたいへんよく似ている。それで、山伏たちは、妙高山を仏の山としてあがめ、やがて、仏教の世界の中心にあるというシュメールにみたてて、妙高山と呼ぶようになったのではないかと考えた。今では、この説が一般に普及している。
After that, a historian Mr. Koichi Nakamura, etc. showed it through the literatures that Nakayama was once the name of the area from Arai to Sekiyama; it is not the name of this mountain. He denied the transition: “中山→名香山→妙高山”. Mt. Myoko is very similar in appearance to Mt. Ryojusen in India, where Buddha preached the Lotus Sutra to people, and to Kailash, which is called “Mountain of Buddha” in Tibet. Therefore, in Japan, the mountain priests (Yama-bushi) revered Mt. Myoko as a symbol of Shinto-Gods or Buddha i.e. they eventually began to call it Mt. Myoko, referring to Sumer as the center of the Buddhist world. This theory is now widely accepted.
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「新潟焼山火山」
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2015. 2月26日(木)~早津賢二先生著「新潟焼山火山」(B6サイズ、133ページ)を(有)志保屋書店で発売、 ...
完売感謝申し上げます.
日本で一番若い活火山:焼山の生い立ちから今後の活動予測まで、たくさんの写真と図解資料で私たち素人にも分かりやすく解説しておられます。
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「新潟焼山火山」:
渡辺満久先生の書評ご紹介
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早津先生の「新潟焼山火山」の内容をもっとうまく伝えられないかと思ってきましたが,最近,同書を紹介してくださった書評を入手することができました。早津先生の業績のみならず、お人柄にも触れておられますので,このページで紹介するのにふさわしいと思い,その要約(抜粋に近いですが)を掲載させていただきます。なお,『新潟焼山火山』は,すでにほぼ完売状態です。。志保屋書店 :Tel:0255-72-2025にご連絡くださいませ。
なお、早津賢二先生は、糸魚川市の公式ホームページ、「教育文化」で紹介されています。
渡辺満久先生(東洋大学)の書評より
抜粋と一部加筆は遠藤由明。(2015.05.27)
出典は:地理学評論、第88巻、第3号(2015年5月)、pp.292-294.
早津賢二:新潟焼山火山――その素顔と生い立ち――.妙高火山研究所,2015年,133 p,1,620円(税込)
早津賢二氏は火山学を専門とする研究者であり,新潟県の妙高火山群や新潟~長野のテフラの専門家として,地形研究者の間でも非常に著名な研究者である。そのお人柄に惹かれ,精緻な研究成果を学ぼうと,共同研究を申し込んだ地形研究者は少なくない。
「まえがき」で述べられていることは,2014年9月に発生した木曾御嶽山噴火とその被害,そして焼山への連想である。「平和な年月は以前の災害の記憶を歴史の中に埋没させてしまう」ことを憂い,「数百年に1回といっても,それは明日起こることかもしれない」ということを強調している。早津氏は,噴火予知や防災の専門家ではないが,「焼山に係わってきた(研究)者として,現在までに解っていることを,地元の皆様に伝える義務がある(括弧内は評者追記)」と述べておられる。このような主張は,綿密な現地調査と歴史資料の検討に裏打ちされたものであり,説得力抜群である。
第六章の最後では,災害は数十年~数百年という長いスパンで繰り返されるので,自然災害の記憶を人々の心に留めることが重要であるが,1933年の昭和三陸津波から78年後,東日本大震災において同じ過ちを繰り返してしまったと述べている。また,今後は,学校教育で地震や津波のことをきちんと教え続けることが重要であり,小学校のときからきちんと教育することによって,デマなどに惑わされずに,情報を有効に活用できるとも主張している。「日本列島の自然は,火山や地震など,自然災害をもたらすいろんな力によってつくりあげられてきた.知恵を出し合って,自然との共存,火山との共存を図っていこう.」と締めている。
「あとがき」で印象的だったのは,「前著『燃える焼山』(早津,1992)を書いたころ,まだ起こってもいない噴火や災害のことをとやかく言うことに対しては,むしろ煙たがられる傾向が強かったように思います。防災マップについても,否定的な反応を示す人が少なくありませんでした。観光や企業誘致,土地の価格などにマイナスの影響を与えるというのがその理由です。しかし今日では,事実をありのままに伝えてほしいという要望が多くなっています。(括弧内は評者追記)」という記述である。我われ変動地形研究者も同様の見解をもっているが,反論もありその声は決して小さくはない。早津氏も同様の経験をされてきたと思われる。
本書は丹念な野外調査と歴史資料の検証にもとづいて明らかにされた焼山の活動史を整理したものであり、それが正しく伝えられるように遺された書籍である。火山活動だけではなく,遺跡や歴史時代の人間活動との関係を重視している。また,火山活動の推移と今後の被害予想,ハザードマップの活用にまで記述が及んでおり,火山学が専門ではない読者にとっても魅力のある内容となっている。随所に鏤められた,こだわりの写真や挿絵も楽しい。
実は,早津氏は研究機関に所属する研究者ではなく,新潟県妙高市にお住まいである.「研究費のすべてを自費でまかなわなくてはならない」状況におられる,一流の研究者の業績・誇り・意気込みが伝わる書籍を是非ご覧いただきたい。火山災害への警鐘に対する批判への対応や,日ごろの研究活動,出版活動のご苦労など,生ぬるい研究環境に浸っている評者には想像もつかない.ご苦労のほど如何許りかと、推察するのみである。本書の中身については,地元の書店のホームページ(志保屋書店,2015)にも紹介されているので,こちらも参考になる。
文献
志保屋書店 2015.「早津賢二先生の世界」:www.shihoya.com ➡「すてきな先生たち」➡「早津賢二先生の世界」
早津賢二 1983.『新潟焼山火山の地質と活動史』妙高高原町教育委員会.
早津賢二 1985.『妙高火山群――その地質と活動史――』第一法規出版.
早津賢二 1990.『妙高は噴火するか――妙高火山の生い立ちを探る――』新潟日報事業社.
早津賢二 1992.『燃える焼山――知られざる火山 その現在・過去・未来――』新潟日報事業社.
早津賢二 1998.妙高火山「多世代火山」の成り立ちを知る.高橋正樹・小林哲夫編『関東甲信越の火山Ⅰ フィールドガイド「日本の火山①』134-15.6築地書館.
早津賢二 2008.『妙高火山群――多世代火山のライフヒストリ――』実業広報社.
早津賢二 2012.『妙高は噴火するか』新潟日報事業社.
(渡辺満久)
「はね馬の起源」
2010.10.05th 早津賢二先生からの「M-PEC へのご回答」:
「はね馬」の雪形がいつ頃から見えるようになったのか教えろとは,難しい注文ですね.
はね馬が見えるようになるには,(1)はね馬の崖をつくっている溶岩が噴出し,(2)神奈山の北斜面に大きな沢が刻まれ,(3)はね馬の部分が崩壊する,という3つの事件が関係しています.
(1)の溶岩は二代目の妙高(妙高は四つの世代からなっています)に属する幕ノ沢溶岩層で,今から10万年ほど前に噴出しました.
(2)の沢は片貝川支流の馬形沢(片貝川D沢)で,数万年前にはほとんど今の形になっていたでしょう.問題は…
(3)のはね馬の形を決定した崖崩れの時期です.今のところ時代を決定する確証はありませんが,地形から判断して,数千年以内ではないかと推定されます.おそらく千年のオーダーでしょう.
そうだとすると,私たちの祖先である縄文人も同じような形をしたはね馬を見ていたかもしれませんね.