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斎藤史短歌ご紹介 No.18 / 50th
Fumi Saito’s Tanka in Yoshy’s English
🙏 故・増井凖治医師に献呈:特別号
Dedicated to the late Doc. Junji. Masui
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This article is quoted from BLOG updated on Mon, May 9th, 2022.
Yoshy’s note:「ひとつのいのちここに終わりし空間の奇妙に明るき空ベッドあり」が、増井準治先生から、斎藤史の短歌をお教え頂いた最初の短歌でした. 私の祖母の死(1903: M-36.8.5: ~ 1991: H-3.8.11= 88歳)を当家の祖母の部屋で看取って下さいました. その後の母の死 (1928: S-3.10.18 ~ 2001: H-13.3.28= 73歳)の折、私に、『お父さんに、お好きな俳句を沢山作るようにお勧めください』と仰いながら、私の来訪の折節に、斎藤史の短歌を、ご自身の帳面を見ながらお教え下さいました. いつも紙片を胸に入れていて、記録させて頂いた次第です. その父(1928: S-3.3.3 ~ 2021: R-3.10.21= 93歳)も、義母(1926: S-1.12.4 ~ 2022: R-4.3.6= 96歳)も泉下に. -『数えたことはないが、ざっと、3000人の生死のお世話をしてきましたかな… 』のにこやかなお声が耳に残っています.
🙏 2014年(H-26) 11月13日ご逝去、享年90歳.
🙏 御許可をいただき撮影させて戴いた数少ない写真は、斎藤史短歌ご紹介の下にございます.
私が子供の頃からの掛かり付け医だった、故増井準治先生は短歌が大好きでいらっしゃいました. とりわけ先生がお好きだった齊藤 史の短歌を紹介される度、私が書き留めておいた約50首を和英でご紹介させていただきます. M-PECフェスティバルの度に、ご寄付を頂き、励まされたこと等忘れられません. 英訳しながら長年賜ったご遺徳を偲ばせていただきます.
The late Dr. Junji Masui, who has been my family physician since I was a child, loved waka poems very much. Now Let me introduce Tanka-poet, Fumi Saito he liked very much. Let me translate her about fifty poems into English. I will never forget lots of love given from Doc. Masui: ex. warmly inviting me to his residence, his donations to our M-PEC Festivals, encouragement to me, etc. I won’t forget his big and deep virtues; let me share her poems translated by me, which would make him happy in Heaven. He passed away on November 13th, 2014 (H-26).
<齊藤 史:(さいとう ふみ) From ウィキペディア>
1909年(明治42年)2月14日 - 2002年(平成14年)4月26日)は、日本の歌人。東京市四谷区生まれ。広島県立高陽高等学校(現: 広島県立高陽高等学校)卒業.
父齋藤瀏(りゅう)は陸軍少将で、佐佐木信綱主宰の歌誌「心の花」所属の歌人でもあった. 17歳の時、若山牧水に勧められて作歌を始め、18歳から「心の花」に作品を発表するようになる. 1936年の二・二六事件では、父を通じて親交があった青年将校の多くが刑死し、父も事件に連座して禁固5年となる. この経験がきっかけで、それまでの想像の世界を飛び回るような独創的な短歌から、時代を鋭く見つめる歌を詠むようになる. 1939年、父・瀏が主宰する歌誌「短歌人」創刊に参加する. (後略)
ひとつのいのち
ここに終わりし
空間の
奇妙に明るき
空(あき)ベッドあり
↯
In the space left alone
By a BODY,
Is an empty bed
Standing there and looking so
Strangely radiant.
*radiant [réɪdiənt]:(a) 晴れやかな、輝く、放射される
<1a:ご参考One Image FYI: “Empty bed,” by Michal Porebiak; via Flickr>
Description: "Empty spaces - what are we living for? Abandoned places - I guess we know the score… On and on! Does anybody know what we are looking for?"
↯
「空(あき)ベッド - 私達は何のために生きているのでしょう?見向きする人のない場所-私達はその摂理は分かってはいると思います … でもこの世は賽の河原のよう! 私達が探し続けているものを知っている人などいるのでしょうか?」
(和訳:遠藤由明)
<2a: H-25: 2013.12.17「混沌の …」ご遺作となってしまった短歌と一緒に記念写真. >
<2b: 上記の短歌のみ: ご自筆です.>
<2c: H-26: 2014.4.30「しなさかる…」ご自作短歌>
<2d: 同日、私にご披露の折の茶菓子・最中「この春」:大杉屋惣兵衛菓子司>
<2e: 同最中の包装紙>
<2f: H-26: 2014.5.1「11歳のエリー@ ふれあい会館東端>
Erie’s Life: From (H-15) 2003.2.4th – (H-28) 2016.10.4th (13 y-o)
<2g: H-25: 2013.12.18「積雪が始まった妙高山」>
増井凖治先生がご覧になられた最後の雪景色の一景となった.
<2h: H-20: 2008.11.27「大広間テーブルに掛かっていたクロス」>
<2i:同日、床の間>
<2j: 正岡子規の話題になった折に、この「藤の花の歌」等の資料を下さり、子規の歌をご教示くださった.>
<2k:同上、解説書>
いづれ、http://mpec.blog.fc2.com/ で英訳するつもりです.
<2L: 大広間の欄間に掛かっていた「群賢畢至(ぐんけんひっし)」>
新井市初代市長、増井凖治先生の父上時代以前からの古い書で、書家の銘が読めない.
<2m: 上記の金言が好きで、小生も揮毫した:2020.5.9th 現在、LLシホヤ新井教室2階入り口に掲示中.>
<2n: 増井準治先生の遺作短歌+私との最後のスナップ>
このプリントを贈呈した時、「うん、良い遺影になった、他買わせてもらいます.」の嬉しそうな声が耳についています.