Issue # 11中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
英語学習には全く興味がない二人の番長、<two top cats > 内山敏夫君と宮田信夫君が勉強会に出席するかどうかは、かなり疑問でした。前日の教会訪問の後、私は、宣教師であれ、なんであれ、『Groveさんという外国人と1ヵ月後には個人的な知り合いになれるのだ』、という喜びで胸が高鳴っていました。「明日の朝から3人で英会話の勉強だぞ!」と私が言った別れ際、二人は頷いただけで声がなかったことなどを思い出しながら準備をしていました。心配が的中しました。定刻の8時を過ぎても現れません。生徒会室はグランドに面した木造校舎の職員玄関から入ってすぐ左の小部屋です。誰か来れば、足音が響きます。聞こえるのはヒマラヤ杉に留(と)まって鳴く油蝉と野鳩(のばと)の声、そして宿直の清水先生が聞いておられるラジオの音だけです。
廊下に出てみました。全て内鍵がかかっている窓の一つを開けて、国旗掲揚塔の向こうに見える、屋根の上の十字架に気付きました。毎日見えていた筈なのに、「昨日Groveさんの情報をもらった教会だ!」と、急に親しみが湧いてきました。『Groveさんは宣教師なんだからきっと優しい人だろうな』、『もし別荘でlunchを家族と一緒に食べることになったら、何を話せばいいんだろう?間が持てるかな?』『いや、待てよ、英語が通じなくて、別荘が見つからず、怪しい子供だと、警察に突き出されたらどうしよう?』…窓の敷居にもたれながら頭の中は1ヵ月後の冒険を想像して、期待と不安で一杯でした。
すると体育館の更衣室からuniformを着た野球部員数名が出てきました。朝練習の時刻です。国旗掲揚塔の時計は8時半…30分もぼんやり空想していたのです。『内山と宮田は来ないな。まあ、いいか、一人で始めよう』と、生徒会室に戻りました。
録音テープ、5号 open reelから流れるNHKラジオ英会話。テキスト台本のdialogueは、意味が分からなければ日本語訳が書いてあるので、なるほどなるほどと納得しながら安心して、繰り返し暗誦することが出来ました。しかし、松本亨先生の、女性外国人との早口での雑談は、途中の笑い声ばかりが気になって、何を言っているのかさっぱり理解できません。『こんなことでGroveさんと話が出来るんだろうか?』と、不安になったものでした。翌日も二人は現れず、英会話学習は自宅で、一人だけですることにしました。
<写真:当時のオープンリール・テレコ。公開画像より。>
Issue # 12中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
8月20日、木曜日は夏休み中の、3年生だけの招集日<Summer Call-Up Day>でした。夏休みは後5日しか残っていません。みんなの顔は、真っ黒に日焼けしています。翌日が、いよいよ外国人別荘村探検の決行日です。野尻湖の別荘に滞在中の、新井聖書教会・宣教師、Mr. Grove’s familyを明日、8月21日金曜日に内山君、宮田君と3人で訪問することは、教会におられた親切な女性が連絡済の筈です。今日まで約1ヶ月、英会話の自主トレーニング<self-directed learning> を続けていました。結局、二人の相棒は1回も英語学習には出席しませんでした。
平日毎朝from 6:15 to 6:30 の「NHKラジオ英会話」学習は、今回の野尻湖冒険を意識しなかった頃は、漫然とただ声を出していただけでした。しかし、外国人と自分の英語が通じるかを確かめる目的が出来た為に、熱の入れようが違っていました。Good afternoon. 一つでも、それまでは、「午後の挨拶で、こんにちは」くらいの、符牒 <a kind of password> くらいに考えていました。が、別荘村をうろついていたとして、大きくて怖そうな外国人とすれ違った時、どんな調子で、どんな表情で言えば良いのか…などと考えて、部屋を歩きながら握手の動作までして、大きな声を出すようになっていました。Hi! Good afternoon! We are from Arai. Do you know Mr. Grove’s house? … Oh, you know. … It’s very kind of you. … 戸の隙間から、祖母が見ていて、私の気がふれたのではないかと心配して、「よっちゃん、大丈夫かね?」-はっと我に返って、「あれ、いたの?英語の勉強だよ、ハハハ」と、テレ笑いすることがありました。
招集日での漢字力テストが終わって、放課後、「おい、内山、宮田、英会話の勉強会に1回も来なかったけどさ、本当に行くつもりなんだろうな?行かなきゃ僕一人でも行くぜ。」―内山番長は、「ああ、男に二言はない。遠藤の用心棒に付いて行ってやる」…宮田2番番長は、「もちだ。毎朝空手の稽古と、剣道の素振りで鍛えていたわさ。明日は木刀を持ってえぐ」―「木刀はやめとけよ。僕の喋る英語が誤解されて、いざこざが起こるかも知れんけど、相手は、外国の大人だぜ。かないっこないから、そん時は、走って逃げようよ。」-「囲まれたらどうする?アメちゃんはピストルを持ってるぜ。木刀くらいは持ってかないとな」と、宮田君。私は、「うーん、それも一理ある」と納得。…無事に帰れるか、急に心配になりました。「内山、宮田、そん時は頼むわ。明日は新井駅、7:00ちょうど発の汽車だぞ。」すると、内山が、「いくら位、金持ってきゃええんだ?」と聞く。「そうだな、汽車賃が片道60円、田口駅から野尻湖までバス賃が分からんけど、30円として、往復、180円。それに、お昼にありつけない場合のラーメン代が40円、小遣いを入れて、一人350円あればいいと思うよ。」裕福な家庭の二人は『そんなもんで良いのか』という顔で頷いた。350円は現在の物価で10倍の3,500円くらいです。
<写真:ヨッシーが小学校時代、志保屋書店で売っていた英語学習月刊誌:Jack And Betty。公開画像より。>
Issue # 13中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
今日、8月21日(金)は、待ちに待った「野尻湖別荘村冒険」の決行日です。7:00発の上りの汽車に間に合えば良いので目覚し時計は6:00にセットしたのですが4:00に目が覚めてしまいました。カーテンを開けると空は白んでいました。「ありがたい、今日も晴れだ。暑くなりそうだな」と、外へ出ました。隣接する新井小学校の北運動場脇から新井市総合グランドのバックネットまで散歩しました。南葉山の上の白い満月、妙高山、高牀山、そして船丘山が青黒い空にシルエットのように浮かび上がっていました。「あの船丘山の向こうが野尻湖だ。Groveさんってどんな人かな?」、「待っててねー」と思わず声が出てしまいました。
南運動場と新井高校の牛小屋・豚小屋の間道を歩いて家に戻りました。間道の銀杏並木から野尻湖の方角を見据えて立ち止まりました。銀杏の木陰からJackとBettyが出てくるような気がしました。小学低学年の当時、店で見て、中学時代にはもう廃刊になっていた英語雑誌: “Jack and Betty”の表紙絵がそんな光景だったためでしょう。 “Hi, Jack. Hallow, Betty. My name is Yoshiaki Endo. Do you know Mr. Grove?”…などと、一人喋りしていました。はっと我に返るともう5:00。雀sparrowsとミンミン蝉Robust Cicadasも喋り始めて、空はすっかり明るくなっていました。
早起きの祖母は、台所で朝餉(あさげ)の支度をしていました。「ばあちゃん、おはよう。6:00くらいに駅へ歩いてえっからね。」-「ま、こんなに早く、どこ行って来た?」-「野尻湖の方を眺めてきた。」-「よっちゃん、本当に大丈夫かね?アメリカ人に会うなんてキチガイだ。食われんようにな。」-「食べられやしないって。戦争は昔のことだよ。」-「いざって時、これ渡して逃げれ。」と、僕に500円札をくれました。 “My mother gave me \350 last night. That’s enough for me, but…well, I’ll bring a souvenir for you. Thank you, Grandma.” 「何せってんだか…危ない目にあったらすぐ逃げれ」-“All right. Don’t worry.”
昨夜の内に用意しておいた持ち物を大急ぎで、修学旅行用に「ささや」で買ってもらった手提げ鞄Boston bagに詰めました。父から借りたミノルタ・カメラ、母が買ってくれた手のひらサイズのパナソニック・トランジスタラジオ、財布、生徒手帳、ハンカチ、ちり紙、「丸周菓子屋」で買った量り売りの「かりんとう」と「柿の種」、ハリス・チューインガム、そして使いそうな英語表現をびっしり書き込んだ大学ノート。Boston bagはガサガサ。『大は小兼ねるさ』:Bigger is always better. 勝手口kitchen doorから家を出ようとしたその時、なんと二番番長の宮田信夫君と彼のお母さんが立っているではないか…護身用に持ってくると言っていた木刀も持っていない。手ぶらだ。しょんぼりして、僕を見ない宮田君に何かあったのだろうか?
<写真:ヨッシーの母が買ってくれたトランジスタラジオ:National T-601。撮影:2013.06.05(水)、Erieと。>
Issue # 14中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
いつも活火山のように元気な宮田君が、母親の側でうなだれて小さくなっています。手には何も持っていません。一瞬、『さては、怖気(おじけ)づいて野尻湖行きをキャンセルに来たな』と思いました。…が、「まあまあ、不出来な倅がいつもお世話になっています。今日は宜しくお願い致します。朝早くから恐縮ですので、ご両親様にはご挨拶できかねますが…気持ちばかりのものですが…」と、風呂敷包みを井戸の蓋の上で開いた。「え、何ですか?」-「お口に会いますかどうですか…おやつにでもお食べください。昨日、学校から帰るなり、『\350くれ』と申しますものですから、問い詰めましたところ、野尻湖へ英語の勉強に行くと言うではありませんか。オホホホ…この子の口から勉強などと…久しく耳にしませんでしたもので。早速担任の宮腰英武先生のご自宅へ電話致しまして。間違いなく英語の勉強だとお聞き致しまして。オホホホ…遠藤様とでしたら安心でございます。宜しくお願い致します。」と、ぽかんと口を開けている私に、深々と頭を下げて、宮田君の肩をポンと叩いて帰ってしまわれた。流石にご主人が元市会議員の奥様だけあって、早朝からピカピカの和服姿。言葉遣いも違う。
「宮田、おまんの母ちゃんて、Upper-classだなぁ、たまげたよ。あの母ちゃんの子がおまんかぁ?」-「なにォー、母ちゃんをアッパと言ったなぁ!」-急に怒り出したので、慌てて、「いや、違うよ、Upper-class、上流階級って、…誉めたんだよ」-「…うっせぇ、ほら!」と、ポケットからしわくちゃの茶色い「筋入り封筒」を僕に突き出した。「親父からだ」…開けてみると千円札が一枚。「俺と遠藤に千円ずつ、くんた。母ちゃんにも誰にも言わんという約束だ。取っとけよ」-「えー、いいのか?」当時の\1,000は、今の\10,000です。買い物に行くわけではないにしても、祖母からの\500を足して、余分の小遣いが\1,500にもなりました。急に気分が大きくなりました。がさついていたBoston bagも、頂いたチョコレートやビスケット、サンドパンなどがずっしり入って満足そうです。
「アメちゃんから僕を守ると言っていた木刀はどうしたの?」-「俺には空手という武器がアラー」…多分、親の手前、持ってこられなかったのだと直感しました。「おい、ラジオ体操が始まったぞ。7:00の汽車まであと30分だ。駅まで走ろう。とっぽい内山のことだ。寝坊してるかも知れん」一番番長、内山敏夫君の家は駅の前にあった通称「マル通」、「日本通運」の裏側だった。内山君の親父さんは、マル通のお偉いさんでした。運送業だけでなく、井戸掘り、地固めの時の音頭取り、電信柱の敷設など、町じゅう、色んな場所で大声を上げておられたことを思い出します。豪快な方で、宮田君と遊びに言った時など、「番長の心構え」を熱っぽく語り、ご自分が飲んでおられたビールを中学生の僕たちに注(つ)いで下さったのには驚きました。心配した通り、内山君の部屋の窓を叩くと、眠そうな顔を出しました。「おい、あと10分!先に汽車に乗ってるぞー」
<写真:当時発売開始した「マーブルチョコ」。公開画像より。>
Issue # 15中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
寝坊していた一番番長の内山敏夫君が間に合わなければ、二番番長の宮田信夫君と二人でもいいや、と覚悟して駅の前に走り寄りました。当然、田口駅までの\60の切符を買うつもりでした。ところが、\1,500という大金を手にしていた為か、内山君の破天荒な父上の面影が乗り移ったのか、私の口から…「おい、ただ乗りしようぜ。うまく行けばこの野尻湖冒険は成功だ」…結局、田口駅で後払いしたので、罪を犯さなくて良かったのですが、『新井中学、3年1組級長、生徒会編集部長の遠藤由明、無賃乗車で逮捕さる』という見出しで、朝刊一面トップで報道された悪夢nightmareはその後、数年に渡って見ることになりました。
「宮田、こっちの貨物出入り口から堂々と入るんだぞ」-「見つかったらどうすんだ?」-「大丈夫、俺は毎朝、店員とここを通ってリヤカーで雑誌を汽車から下ろしてるんだよ。駅員はみんな僕を知ってるし、ほら、他の本屋さんがもう来てる。紛れて入れば大丈夫さ」…さて、発車まであと5分。当時の「上り」は現在の1番線、つまり改札口側にありました。私たちが乗った鈍行:localは、長野寄りに機関車Steam Locomotiveが蒸気を吐いて、石炭車Coal Carを従えて、「チッキ」と呼んだ乗客の荷物などを載せる貨物車Freight Car、次に郵便貨物車Mail Car、そして三等車が3輌、展望車Observation Carの順番だった気がします。当時の急行:Expressには一等車から三等車までありました。私は、「只で乗るんだから、貨物車に乗ろうぜ。冒険らしい雰囲気を作らなくちゃね」と、宮田君の腕を引っ張りながらドアが開けっ放しの貨物車に乗り込みました。当時の貨物車は、荷物がない時は両サイドの引き戸が開けっ放しでした。ブォーッと大きな汽笛がすぐ近くで鳴って、連結器Couplerがガタガタ順番に鳴り響いて、牛のようにゆっくり動き出しました。
「内山敏夫は乗ったかどうか、田口まで分からんね。どうだ、貨車も良いもんだぜ。風邪通しが良くて景色が良くて…その分、煙が一杯入るけどな」と、私。宮田君は私の顔を見ながら、「遠藤、見直したぜ。只で汽車に乗ったのは、俺、初めてだ」-「うーん、それなんだけど…田口駅で降りる時はヤバイぜぇ。田口駅には僕を知ってる駅員が一人もいない。改札口Ticket Gateで、『新井から乗りました』と言って\60払うしかないなぁ」…宮田君は、「うん、そうしよう、それがいい、悪いことしちゃいけねえ」と、二番番長は柄にもなく、ほっとした顔をしたのが印象的でした。
<写真:当時、信越本線を走っていたSL。公開画像より。>
Issue # 16中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
貨物車Freight Carから眺める妙高山は刻々と表情が男らしくなって、美術館の大きなCanvasを見上げているようでした。入道雲Towering Thundercloudsになりかけの、白い綿飴のような雲が真っ青な空に浮かんでいました。二本木駅に停車の時は日曹への通勤客Commutersが大勢降りているのが、ざわめきで分かりました。貨物車に乗っている私たちは、見つからないように、隅っこに積んであった菰(こも)、つまり藁で編んだ莚(むしろ)を被って、動き出すまで息をこらしていました。
ここで、ちょっと脱線しますね。今の良い子たちは、藁で編んだ「莚(むしろ)」を知らないのではないでしょうか?当時配送容器は「段ボール箱」corrugated cartonではなく、もっぱら「木箱(きばこ)」wooden boxや「ブリキ缶」tin canでした。輸送の時にはその上に菰(こも)を被せて、縄で縛っていたものでした。飯事(ままごと)や日向ぼっこに敷いたり、背負子(しょいこ)と背中とのcushionに使ったりしていました。英語で言えば、straw matですね。藁沓(わらぐつ)straw bootsで雪道を歩いた私たちにとっては、菰(こも)とか、莚(むしろ)の発音の方が、実感が湧きます。新井高校時代の話になりますが、「ratherを使って、比較級の英文を作れ」という問題が出されたことを思い出します。私が書いた英文は、 “I like a mattress better than a rather.” 出題した英語科の楠田先生はびっくりなさって、「遠藤、お前らしくもない、どういうつもりだ?」と職員室で問われました。「え、おかしいですか?『私は莚(むしろ)よりマットレスの方が良い』と書いたつもりですが。Ratherは莚(むしろ)でしょう?」-「ムシロ、名詞、nounじゃない、『むしろ』、副詞、adverbだ」-「えー!L3Cの生徒はたぶん全員がratherは莚(むしろ)だと思ってるんじゃないかなぁ」…楠田先生は立派な先生でした。すぐさま、次の文法Grammarの授業で、「みんな、ratherの絵をノートに描いてみろ」と仰いました。「描けません」と言った優秀な生徒もいたにはいましたが、予想通り、ほとんどが餅焼き網のようなstraw matを書いたのでした。それからの単語力テストは、英文の中の穴埋め形式に改まりました。
話を野尻湖冒険に戻しますね。無事に田口駅に着いて改札口Ticket Gateに向かうと、一番番長の内山敏夫君がニコニコ顔でこちらに手を振っていました。「内山、間に合って良かったなぁ。…あ、すいません、ぎりぎりに乗ったんで切符持ってません。はい、60円!」で、難なく田口Stationの外へ出ることが出来ました。白川昭夫先生、渾名がデンスケ先生と野球部の部員十数名も一緒に出てきました。
<写真:野尻湖から撮影した妙高山 (2,454 m)。>
Issue # 17中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
野球部の部員10数名も一緒に出てきました。3年1組のclassmatesもいました。目ざとく僕たちを見つけて集まってきました。nicknameが「デンスケ」の、赤ら顔で笑顔を絶やさない白川昭夫先生が、「編集部長と番長か。面白い組み合わせだな、どこへ行く?」…咄嗟に私は、「はい、遠足です」…すると、「英語が通じるといいな」…やれやれ、デンスケ先生も「外国人別荘村冒険」をご存知でした。「先生たちは?」と尋ねると、「対外試合だ」とのご返事。私は、classmatesをnicknameで、「エリコ、オジ、ヨット、勝てよ~!」と手を振ってその場を去りました。
田口駅前広場の南側にバス停があり、フロント掲示に漢字で「野尻」と書かれたバスが動き出しそうでした。女性の車掌さんに、「野尻湖へ行きますか?」と聞くと、「そこが終点です。急いで下さい」との返事。動き出してから、銘銘が30円の切符を買いました。車掌さんはガタガタ揺れるバスの中でサーカスのようにバランスをとりながらパンチャーでいくつも穴をあけて、黄色い薄くて細長い、藁紙のような切符をくれました。その日、8月21日は金曜日。平日なのにまだ夏休みなので、車中は親子連れで賑やかでした。
終点、とうとう野尻湖に着きました。弁天島に向かって右の方角の丘に、色とりどりの別荘が沢山見えました。内山君が、「おい、高いところから観察しようぜ」と言い出して、私達は湖畔のレストランの非常階段を上がって、屋上から別荘村を眺めました。「どれがGroveさんの別荘かな?」、「英語でどうやって探せばいいのか?」…私の嬉しいような恐いような気持ちを察したのか、宮田君が「ラーメン食って、ボートに乗って帰ろうぜ!」と言い出したので、我に返って、 “No way! It’s already 10:00. Let’s go!”
湖畔に沿った砂利道を30分ほど歩くと、山道になり、辺りが鬱蒼とした森になりました。二人に、「いよいよだぞ。ここからはもう英語しか使えないんだぞ」と、自分にも言い聞かせるように、真面目くさって言いました。目の前に入り口らしい場所が現れました。見上げると、蔦(つた)が絡んだ鉄製のアーチの真ん中に長い英語が書いてあって、 “Nojiriko Village”だけは読めました。近づくと、長い板切れ棒が一本、遮断機:crossing barのように入り口を塞いでいました。人影はなく、蝉の鳴き声ばかり。 “Let’s run through!” :突入!
<写真:当時のバス。公開画像より。>
Issue # 18中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
別荘村の入り口に近づくと、長い板切れ棒が一本、遮断機:crossing barのように入り口を塞いでいました。人影はなく、蝉の鳴き声ばかり。 “Let’s run through!” :いざ突入! The crossing barを潜(くぐ)り始めた途端に、遠くから英語が大声で襲ってきました。 早口で、聞き取れたのは “Boys!” と “Japanese” くらいでした。勿論、駆け寄って来るガイジンさんの顔つきと英語の雰囲気で、「入るな!」と叱られているくらいのことは分かります。英語で返事、どころではありません。気がつくと、元来た道を駆け戻っていました。
宮田君が、「帰ろうぜ。ガイジンに会ったし、英語も聞けたしな」…私は、「Groveさんに会って、英語を話して、アメリカ式のlunchを食べるんだろ。なんとかgateを突破できないかな、内山番長ならどうする?」…内山君はスキージャンプの選手だけあって山道に詳しい。「二人が逃げ出すから、俺もつい釣られたけど、入り口で逃げ帰ったら野球部の連中に笑われる。ついて来い!」…内山君を先頭に、急斜面の森をどう歩いたのか分からないままに視界が開けて、細い道が見つかりました。左下の方に野尻湖が見えます。右の斜面に目を移すと、僕たちと同じ年くらいの女の子が二人、上の方の道からジーと僕たちを見ているのが分かりました。『そうか、内山君のお陰で、別荘村に入ったんだ。』僕は咄嗟に、「あの女の子達と仲良くなれれば、大人のガイジンさんに怪しまれることはなくなるぞ。英語で話し掛けてみるぞ!2人ともニコニコ笑ってついてこいよ!」早速行動に移しました。
手を振って、私の口から出た英語は…私の手元に、その長い一日に交わした英会話を記録したノートがあります。… “Hello, girls! How are you? Let’s play with us!”の3つでした。迫ってゆく僕たちを見て、キャーと悲鳴をあげて逃げていってしまいました。初めて外国人に発した英語は恥ずかしい限り。「やあ、女の子、調子はどうだい?俺たちと遊ばないか?」と聞こえたでしょうから。ニコニコ笑いながら喋ったのだから尚更です。しかし、その時は、何故逃げたのか理解できず、「俺の英語、通じなかったみたいだ」、とショックを受けながら上の道を歩き始めました。すると、向こうからさっきの女の子達と4,5人の男性外国人が、下の道を覗くようにして歩いてくるのが見えたのです。英会話どころではありません。怪しい僕達を探しているのが直感で分かりました。急いで下の山道に戻り、茂みの中でじっと身を潜めました。
茂みの中で、30分ほどいたでしょうか?内山君は、「Gateのガイジンと、今のは、女の子の親だろうな、あれは。敵が増えるばかりだなぁ、ここは、日本人は入れないらしいぞ。俺達の顔も見られたな。もし遠藤の英語が通じないとなると、脱出も骨だぞ。宮田の空手に期待するか」と、ニヤニヤしながら言う。内山君は覚悟を決めたようだ。宮田君は怒ったような顔で黙り込んでいる。僕は二人に言った。「すまない。今思い出した。Japanese smile とか言って、ニコニコしちゃいけないんだ。ガイジンさんは気味悪がるって、ラジオ英会話の松本先生が言ってたよ。無表情で、堂々と振る舞うことにする。もっと上の、別の道を探そう」
<写真:赤ずきんの凱旋:公開画像より。>
Issue # 19中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
丘の頂上まで上がると、車も通れるほど広い道に出ました。不審者:prowlers扱いされた小道からは、かなり離れています。100 m 位おきに別荘があり、道の脇には花畑や野菜畑がありました。ここがmain streetに違いありません。歩きながら、「ここは外国なんだ、Japanese smileは通じないんだ。ぺこぺこ謙(へりくだ)っても怪しまれるだけだ。堂々と胸を張ってゆこうぜ」と話し掛けると、二人は既に時代劇の侍のように凛々しく無言で頷きました。「来たぞ!」…向こうから一人の男性外国人がのっし、のっしと歩いてきました。もし会話が失敗したら、逃げ場がない、と内心必死でした。
2mを越す大男のガイジンさんは、意外にも僕達を見て、ニコニコ微笑んでいました。僕は真面目腐った顔で、 “Good morning, sir!” と睨むように相手の目を見据えて言いました。すぐさま、 “Morning! Bra, bra…” Bra, bra…のところは聞き取れませんでしたが、明らかに友好的でした。僕の右手が出ました。相手も!…そう、握手したのです。たった、Good morning! だけの英語でしたが、僕の英語が通じて、心も通ったのです。涙が出るくらいに嬉しかったです。内山君、宮田君にも握手を促しました。巨漢の内山君は黙って握手しました。小柄な宮田君は見上げるようにして握手しながら、 “Hello!”と言いました。相手もニコニコ何かを言っています。さっぱり分かりません。こちらも何か言わなければ…、と一生懸命考えていました。
“Speak slowly, please. Do you know Mr. Leslie Grove?” …すると、ますますニコニコして、英語もゆっくりになりましした。 “Oh, yes, I know his name.”…僕は、 “Where do you live?” すると、胸に手を当てて、 “Me?” … はっとして、 “No, where does Mr. Grove live?” “Ha, ha…I am sorry I don’t know.” と答えてくれました。 “Thank you, sir. Goodbye!” “Goodbye, boys!” で去って行きました。沢山話した気がしました。再確認したことは、友好的になれるかどうかは、相手にもよるということと、相手がどうあれ、余計な気を使わずに聞きたいことを単刀直入に聞けばいいのだということです。又、I’m sorry.は、「すみません」と謝る時だけでなく、「悪いけど…」のようにも使えると言うことも知りました。Groveさんの別荘がどこかはまだ分かりませんでしたが、兎に角英語が通じる自信がついたのです。
<写真:Greetings:公開画像より。>
Issue # 20中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
腕時計を見ると、11:00を回っています。そろそろGroveさんの別荘を探し当てなくてはと、焦ってきました。3軒ほど別荘を通過するたび、ドアをノックしようとするのですが、その度に緊張してノックできません。ほとんどの別荘は、表札はなく、番号だけなのです。「次の別荘にしようか…」と、歩き出してしまうのです。次に道で出会うガイジンさんが、先回のように友好的とは限りません。4軒目の別荘が見えました。窓が開いていて、中で2人の大柄な中年女性が動いているのが見えました。思い切って道から大きな声で聞いてみることにしました。
“Excuse me, where is Mr. Leslie Grove’s house?” すると、二人の動きが止まり、一人の女性が、道の先の方角を指差して、 “Two, two, two!” と答えました。一瞬、何の英語か分かりませんでした。黙っているわけにもゆかず、 “Pardon?” というと、指で2の数字を作って、又、“Two, two, two!” と答えました。「あ、そうか、数字のプレートだ。222号の別荘だな」と、やっと分かりました。 “Two hundred twenty-two?” ときくと、又も “Yes, two, two, two!” と答えました。こんな数字の数え方は学校では習いませんでした。 “Thank you. Goodbye!” “Goodbye!” で見事にGroveさんの別荘番号と方角が分かったのでした。「それにしても、Groveさんは有名人なんだなぁ。そうか、新井の教会で宣教師:missionaryということは、ここでは牧師さん:pastorなんだ。ここでは日曜日の礼拝も結婚式もGroveさんが主役なんだろうな」と実感しました。
安心した所為か、いつの間にか3人とも、ぶばった侍の顔から、普段のいたずら好きな中学生の顔に戻っていました。浮き輪を持った水着姿の子供を連れた母親にも会いました。 その子供に“Hi!”と、右手を振って挨拶すると、小さな声でしたが“Hi!”と言ってくれました。母親もニコニコ笑って通り過ぎました。「やったー!俺達を受け入れてくれてる!」とどんどん自信が湧いてきました。
宮田君が、「あったぞ!」と指差す方角の別荘には、間違いなく白樺のプレートに「222」の数字が見えました。 “Two, two, twoだ!”右手の坂を上がって近づくと、人の気配がありません。
<写真:Leslie Groveさんの別荘はこんな風情:公開画像より。>
Issue # 20中学生時代の野尻湖外国人村冒険:Yoshy’s Adventure in the foreigners’ Village of Nojiri-lake When Yoshy was a third grader of Arai J/H School
腕時計を見ると、11:00を回っています。そろそろGroveさんの別荘を探し当てなくてはと、焦ってきました。3軒ほど別荘を通過するたび、ドアをノックしようとするのですが、その度に緊張してノックできません。ほとんどの別荘は、表札はなく、番号だけなのです。「次の別荘にしようか…」と、歩き出してしまうのです。次に道で出会うガイジンさんが、先回のように友好的とは限りません。4軒目の別荘が見えました。窓が開いていて、中で2人の大柄な中年女性が動いているのが見えました。思い切って道から大きな声で聞いてみることにしました。
“Excuse me, where is Mr. Leslie Grove’s house?” すると、二人の動きが止まり、一人の女性が、道の先の方角を指差して、 “Two, two, two!” と答えました。一瞬、何の英語か分かりませんでした。黙っているわけにもゆかず、 “Pardon?” というと、指で2の数字を作って、又、“Two, two, two!” と答えました。「あ、そうか、数字のプレートだ。222号の別荘だな」と、やっと分かりました。 “Two hundred twenty-two?” ときくと、又も “Yes, two, two, two!” と答えました。こんな数字の数え方は学校では習いませんでした。 “Thank you. Goodbye!” “Goodbye!” で見事にGroveさんの別荘番号と方角が分かったのでした。「それにしても、Groveさんは有名人なんだなぁ。そうか、新井の教会で宣教師:missionaryということは、ここでは牧師さん:pastorなんだ。ここでは日曜日の礼拝も結婚式もGroveさんが主役なんだろうな」と実感しました。
安心した所為か、いつの間にか3人とも、ぶばった侍の顔から、普段のいたずら好きな中学生の顔に戻っていました。浮き輪を持った水着姿の子供を連れた母親にも会いました。 その子供に“Hi!”と、右手を振って挨拶すると、小さな声でしたが “Hi!”と言ってくれました。母親もニコニコ笑って通り過ぎました。「やったー!俺達を受け入れてくれてる!」とどんどん自信が湧いてきました。
宮田君が、「あったぞ!」と指差す方角の別荘には、間違いなく白樺のプレートに「222」の数字が見えました。 “Two, two, twoだ!”右手の坂を上がって近づくと、人の気配がありません。
<写真:Leslie Groveさんの別荘はこんな風情:公開画像より。>